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関東ロックウール株式会社はニーズに対応し、効率よく運び、常に時代の変化を見つめ、迅速で的確に行動していきます。

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誕生秘話


関東ロックウール株式会社の創業者 飯嶋 藤平とロックウールとの出会い、それは今をさかのぼる事60年以上前、1950年代半ばのある出来事がきっかけでした。

現在の群馬県高崎市で、室町時代中期より代々味噌の製造業を営んでおりました、「糀屋(こおじや)」21代目当主の飯嶋 藤平は、高度経済成長期まっただ中の1950年代半ばより、商売のヒントを得るためにたびたび国内外の視察に出掛けていました。当時はまだ海外旅行が自由化される前。それでも藤平は個人で、あるいは業界の仲間と積極的に欧米等を巡り見聞を広めていました。

それは藤平が、デトロイトなど北米の商工業都市を訪ねた時のこと。藤平は主に食品を扱うスーパーマーケットなどを見て回っていました。この頃日本はスーパーマーケットの黎明期で一般にはまだ普及しておらず、食品に限らずあらゆる物を取り扱うアメリカの巨大スーパーを藤平は興味津々で見学していました。この視察旅行で藤平が目にしたのが、建物等の建材として使われていた断熱材、ロックウールでした。藤平は、これを味噌製造において糀を発酵させる糀室や味噌蔵の断熱材に利用できないかと閃いたのです。

糀室は石炭ボイラーで内部の空気を温めますが、その保温のために建物の壁面内部に土壁を作っていました。この土壁は、竹を縦横に組んだ木舞壁に珪藻土を塗り固め、内部に30cmほどの厚さに藁を詰めたものでした。ただ、この土壁はすぐに劣化して効果がなくなるため1〜2年ごとに作り替える必要があるのですが、毎回10人ほどの職人が3日間徹夜で作業しなければならないほどの、大変手間のかかるものでした。「もしロックウールを、従来蔵の建造で使用されていた珪藻土を用いた土壁の代わりに使うことができれば、作業の負担は大きく軽減されるはず。さらに、これを同業者である味噌や醤油、酒等の製造業者に供給すれば喜ばれるだけではなく、ひとつの事業として成り立つのではないか」と藤平は考えたのです。

藤平は実際にロックウールを入手して、糀屋の糀室に使用しその効果を確かめてみたところ、その結果は予想以上に素晴らしいものだったそうです。従来の土壁に比べ、ロックウールははるかに重量が軽くて加工が容易であり、保温性も良いため壁の厚さを半分以下にでき、建物全体を軽くすることができました。また、土壁は外気の影響を受けやすいうえ、湿度の調整を自然にしてしまうので人間が望む状態にコントロールするのが難しいのですが、ロックウールは外気を遮断でき温度管理も容易であり、さらに耐久性にも優れており、一度施工すれば毎年作り替える必要がないなど、そのメリットは非常に大きいものでした。

これにより、ロックウールの事業化に一段と自信を深めた藤平は、工場用地の確保など会社設立に向けた準備を急ピッチで進め、昭和36年群馬県高崎市高関町にて関東ロックウール株式会社を創業するに至りました。